初めての方へ


ドイツ・リートって何?

 ドイツ・リート(ドイツ歌曲)というとどんなイメージをお持ちでしょうか。難しそう? 地味? 確かに、一見、オペラのような華やかさも日本歌曲のような親しみやすさもないかのように思われるかもしれません。

 でも、皆様、よくご存知の「かすみか雲か」や「ちょうちょ」などは、元々はドイツの子どもの歌なのです。

 また、「赤とんぼ」、「この道」の作曲者としてよく知られた
山田耕筰や、<春のうららの隅田川・・・>の歌詞で有名な「花」の作曲者、滝廉太郎ら日本歌曲の礎を築いた人たちは、ほとんど皆ドイツで学び、その作品の骨組みはドイツ・リートに由来していると言っても過言ではないのです。

少しはドイツ・リートとの距離を短くしていただけましたか?

オペラとリート

 オペラは歌があり、オーケストラがあり、
演技、衣裳、舞台美術などが一体となって
創られる総合芸術です。
それに対してリート(歌曲)は、二重唱などもありますが、基本的には一人の歌い手と一人のピアニストが織りなす音の世界です。

 声という楽器をもって演奏する歌い手にとって、理想はどんなジャンルの歌もこなせることでしょう。しかし声という楽器は、磨いて良くなれる可能性も無限であるとはいえ、例えばアップライトピアノとグランドピアノの差のように、努力では如何ともし難い面もあります。

 私がリートに傾倒した理由は、私の楽器がオペラよりリートに向いているということが根底にあったのは事実です。20代の頃はオペラのようなアクティブな表現に関心が強く、リートを歌うと萎縮しがちでした。心の片隅に、オペラを歌う声がないことへの敗北感があったのかもしれません。

リートの魅力〜多彩・自然・寿命が長い〜

 30代になってから、師事していた先生の影響もあり、次第にリートの魅力にとりつかれるようになりました。表現ということを追究すると、(オペラとリートを同じ物差しで測ることはできませんが)私にとっては、リートの方がより多彩で奥が深いように思えてきたのです。

 『歌』というもののルーツをたどると、元々は『しゃべり』でした。より感情の起伏を明確に伝えたり、広い場所で大勢の人に伝えたりするために歌が生まれたのです。その点からみると、オペラは完全なるフィクションの世界でリートの方がより自然で私たちの心に近いように思えます。

 誤解なさらないでいただきたいのですが、決してオペラを批判しているのではありません。オペラとリートは質が違い、私がリートの質を好み、それを選択したいきさつをお話しています。

 私は物心ついた時から、父が買ってきた童謡のレコードを聞き覚えては近所の人を訪ねて歌って回っていたような子どもでした。音楽の、そして歌の道を選んで歩んでいますが、できるだけ長くその道を歩んでいたい、という気持ちがあります。そのために学校を卒業した後も、声帯に負担をかけない発声法を身につけようと学んだりしました。

 そしてリートを選んだことも、その希望を全うするための一方策だったかもしれません。なぜなら、いかに優れた発声法を身につけたとしても、オペラ歌手の声帯や全身の筋肉の消耗度はリートのそれと比べかなり大きいことは明白だからです。

 そんな訳で、私はあえてリートを歌うに至ったのです。

「ことばと音の結びつき」をテーマに

 先ほどお話した『しゃべり』に関することは、学生時代から私を捉えていました。

 その頃はドイツ語の力が乏しかったこともあり、日本歌曲をむしろ多く歌っていましたが、当時から「ことばと音の結びつき」をテーマにしていました。そのことを追究していくと、日本歌曲は歴史が浅く、本当に歌いたいと思える曲になかなか出会えなくなりました。ドイツ語を少しずつ勉強していったことも助けとなり、自然とドイツ・リートの世界に惹かれていったように思います。

 私のコンサート歴をご覧いただいてもおわかりのように、私がこれまで取り組んできた曲はあまり広範囲にわたってはいません。やはり「ことばと音の結びつき」というテーマを携えてきたからだと思います。

そして今、フーゴー・ヴォルフ

 今、私が取り組んでいるフーゴー・ヴォルフは、その意味で頂点を極めた作曲家だと言えます。

 ヴォルフがメーリケという詩人の詩に付曲した歌曲群を、通称「メーリケ歌曲集」と呼んでいますが、正式には「ピアノつき歌曲のためのエドゥアルト・メーリケ詩集」とヴォルフは明記しています。このことからも、いかにヴォルフが詩を大切にし、それを活かす音楽を生みだしたかがご想像いただけると思います。

 またヴォルフは、時に病的なほどの鋭い感性で人間を観察し、音の表現の中に盛り込んでいった人です。ヴォルフの歌曲は、口ずさみやすいようなメロディーが少ないためとっつき難いと思われがちですが、これほど人間臭く、私たちの心に近い作品はないでしょう。

 それが、私をひきつけて離さないゆえんです。

 いかがですか、一度くらいドイツ・リートを聴いてみてもいいかな・・・と思っていただけましたか?

ドイツ語という壁

 ところで、「ことばと音の結びつき」をテーマに掲げる上で大きな問題になるのはドイツ語です。日本人が日本で日本人の聴衆のために歌う時、避けられない一つの壁です。

「真にすばらしい演奏は言葉の壁など感じさせずに伝えることができる」とは私の持論ですが、これは、はるか高い高い目標です。現状では、少しでも壁が取り除けるような努力と工夫をしなければと思い、一歩ずつ試みているところです。

 いっそのことドイツやオーストリアで歌ったらどうか、という考えもあるでしょう。もし、私がある程度の年数そこで活動できるような条件が整っているとしたら、それも良いでしょう。しかし、そうでないとしたら、根本的にこの日本の地で歌っていくことを前提に考えるべきです。

うつわができて・・・

 そんな思いがあって、1995年、ホール付の住宅を建てました。それがフリューゲル・ザール(ドイツ語で翼ホールの意)です。うつわができ、そこを活動の拠点とすることによって、マイペースながらも少しずつ力をつけてこられたように思います。

 そして、ちょうど6年が経ったきょう、こうして自分のホームページを開設できる運びとなり、今度は私の内面にあるものを文字でもどんどん表現していき、皆様とよりストレートに心の通い合うおつき合いをさせていただければ幸せに存じます。

 そして、ご一緒にドイツ・リートを楽しんでいただければ、こんな喜びはありません。

2001年4月8日       木内朋子

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